ひと夏の恋
ちなみに、今まで書いたここまでのストーリーは、
今のわたしだからこそわかっていることがたくさんある目線で書いていて、
当時のわたしが、
怖い、とか
悲しい、とか
寂しい、とか
愛情、とか
自覚はしていなかった。
どちらかというと、もっと冷めて拗らせていたので、
憎しみ、とか
恨み、とか
嫉妬、とか
怒り、とか
ぐちゃぐちゃしたおどろおどろしい感情だったし、そんな自分の汚い感情を見ないように感じないようにしていたので、何にもわかってはいなかった。
頭の中でこねくり回して、自分が正しいことを証明することに必死だった。
自分が正しいと証明するためのロジックだけが磨かれていった。
そして、全てが相手や環境のせいで、愚痴をこぼすことが仲の良さだと思っていた。
それでも私なりに必死で愛情表現をしていたし、
それでもそばにいてくれた人たちから、
愛のかけらを少しずついただいてどうにかこうにか生きていた。と思う。
愛情が欲しい、だから愛情のかけらを探す、
でも、元々ないと思ってるから、またすぐになくなる、また愛情が欲しい、足りない。
そんな感じだったんだと思う。
コーチングを通してそれがどんどん分かっていった。
これも両親の文句を言いたいわけではないが、
当時のわたしの認識している事実、で見ると、
育った家庭はなかなか緊張感のある家だった。
父親はいつも怖かったし、
姉は一人亡くなっていたし、
いないはずの姉と比べられていたし、
わたしたち姉妹のために母親が苦労している話を延々と聞いていた。
そして、その環境下で、わたしがこれらの事実から
人の顔色を伺う毎日と、わたしは条件付きでないと愛されないと潜在的に思うようになった。
これらの根強い思い込みを、わたしはコーチングを続けることで、
少しずつ少しずつ変えていった。
寂しいという気持ち
怖いという気持ち
悲しいという気持ち
全部を思い出していった。
そしたら、あれだけないないと思っていた
愛や、本当のやさしさが、ずっとずっとすぐそばにあったことに気付いた。
毎日脳がぴりぴりした。
毎日新しく気づいて思い出して、泣いた。
当時の悲しさを感じて泣いた。
当時の怖さに震えた。
当時の寂しさに寄り添った。
それを続けていったら、
いまここに辿り着いたのである。
でも、コーチングをはじめてからすぐに、ハイ!では理想の男性に会いました!
ってわけでもなかった。
37歳で始めたコーチング、
11歳年下のたまに会う子とは相変わらず、謎の関係は続いていたし、
風の時代とか、多様性の時代、とかの風潮にのって、
結婚しないことが逆に良い、自由な関係っていいよね、みたいに思っていた時もあった。
そんな時またわたしは、ひと夏の恋をした。
湘南に移り住んで1年目の夏。
一番うきうきしていた頃だったから、完全になんちゃらマジックってやつだったし、
自分の望み叶えて湘南に来たんだから、すぐパートナー見つかるっしょ!みたいに
思っていたふしもあった。
しかし、この彼がまた、
一筋縄ではいかなかった。
コーチングとか、こういった類のヒーリングとかセラピストとかにありがちなのだけど、
わたしは気づいちゃった、みんなまだ気づいてないよね?
だからわたしが教えてあげるね?みたいな、
相手が望んでいるかお構いなしの傲慢な考えが少なからずあった。
そのくらいコーチングに夢中だったということでもある。
純粋にこの世の全ての人がやればいいのにと思う。
自分が、コーチングで生きやすくなったもんだから、
コーチングやればいいのにー、と思っていた。
相手が望んでいる場合はもちろん良いのだが、望んでもない人にも押し付けがち。
それは、男性に顕著にでた。
つまり、
わたしが変えてあげないと。
という余計なお世話な感覚だった。
その彼は、そのままで幸せなのに、わたしはそれを不必要に
変えようとしていた。
そして、自分の今まで満たされなかった部分を満たしてほしくて、
不慣れな感情表現、不慣れな愛情表現、不慣れな甘えかた、
すごくへたくそだった。
よちよちなわたしは、この彼とは何にもならずに終わった。
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