「愛されてる」が分からない
余談だが、もちろんそんな日々を過ごしつつ、
目の前の楽しいことはやっていた。
心から楽しめてはいなかったけど、その場を、その人生の時間を過ごさせるには
充分だった。
その中でも、今のこの状況どうにかしたくて、
はまったものがある。
占いだ。
週末は友達と占いにでかけた。
自分の欲しい答えをくれないと、何軒でもはしごしたし、
一体いくらつぎ込んだか分からない。
でも占いはわたしの人生を変えてはくれなかった。
神社にお参りにいっても、
大吉以外は「これから先も不幸だよ~」と言われてる気がして、
何度だって引き直した。
一度、日光東照宮に行った時は、
3回連続で大凶を引いた。
(ちなみに大吉より大凶をひく確率の方が圧倒的に低い)
今なら逆に大喜びするところだが、
当時はほんとにそれが嫌すぎて、良い結果がでるまで引きたかった。
でも、3回も連続で出た日にはもう諦めざるを得なかった。
とにかく、誰かに、
『明日から超ハッピーだよ!大丈夫!』
って言ってほしかった。
毎朝起きると、がっかりした。
昨日となんら変わらない人生にがっかりだった。
どこにいても、誰といても、楽しいのは一瞬で、
幸せを感じるのは、美味しい物を食べている時と、きれいな海に入ってるときと、洋服を選んでいるときだけだった。
頭の中は常に、誰かが言った言葉や態度に支配され、
あの人はどう思ったのかな、こう思ったのかな、
出来ないやつだと思われることが怖くて怖くて仕方なかった。
男性に対してはそれが顕著に出た。
世の中的にいい女と言われる人でないといけなかった。
気が利いて、めんどくさいことは言わず、
愛されるために、体や手料理をすぐに差し出した。
愛されている、がどんな状態なのかわからなかった。
そして、そうすればするほど、愛されなかった。
言い寄って来る人には、逆に
これでもかというほど、自分のことを本当に好きなのか試し続けた。
会っていない間は、相手の言葉や態度の中から、
自分のことを好きであるだろう証拠を集め続けた。
こう言ってたから、わたしのこと好きだよね。
こうしてくれたから、わたしのこと好きだよね。
わたしのこと好き集めは、集めても集めてもすぐに消費されていき、
相手が変わってもいつまでも続いた。
それでも、いつまでも心の底から好かれている実感はなかった。
友達や、ネットや、本での恋愛効力法は
全くというほど役に立たなかった。
言われた通りにやったと思う。
友達の間で流行っていた、動物占いは、何年も頼っていた。
新規で出会う人は全て動物占いを聞いた。
あーだからこんな感じなんだ。と相手のことを良く知る前から
勝手に決めつけて分析した。
相手の気持ちがわからないから、
動物占いに当てはめて分析するしかなかった。
それでも、結局相手の気持ちは何一つわからなかった。
本人が目の前にいるのに直接聞かず、頭の中でこねくり回して、分析した。
そんなもんでわかるわけがなかった。
もちろん、大きくこういうタイプ、とかに分類することはできたけど、
本人に聞く、ができなかったわたしには一生答え合わせができなかった。
答えを知りたかった。
本当はどう思っていたのか、
彼のポケットに入って一日を一緒に過ごしたかった。
わたしのいないところでの彼の言動や行動を一度見て
わたしを好きであると確証を得たかった。
無条件に愛されていると感じてみたかった。
そのくらい、男性のことを、愛されているということを、信じることができなかったのだ。
そう、ただ、本当に無条件に愛されたかっただけだった。
わたしは、「愛されてる」が分からなかった。
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