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30代はずっと迷走していた。







好きな人ができ、

相手はわたしに気持ちがないことを知っていながら、

何年も片思いをしたりした。








最終的には、生まれてはじめての告白をして、

さっくりと振られた。








その後も、彼氏、という名前のついた人が

いた時期もあったが、もはやこの頃には

結婚しなくては!が強すぎて、

どの人も好きかどうかはわからなくなっていた。









そんな状態だから、うまくいくはずもなかった。

少し良いなと思う人は出てきても、

大した関係にはならず、過ぎ去っていった。








34歳になったわたしは、

ある時、今もそばにいてくれている愛犬六助と出会った。










いつも友達と行っていた六本木のペットショップに何の気無しに入った。

ペキニーズの赤ちゃんをはじめて見た。

こんなに可愛い生き物を見たのははじめてだった。










『うちに来る?』と聞いたら、六は首を傾げた。








その日のうちに、名前を考え始め、

ペキニーズについて調べまくった。

そして、次の日には、

そのペキニーズの赤ちゃんを迎えに行ったのだった。









そこから毎日、

それまで夜な夜な飲んでいた生活が一変、

六のお世話のために毎日定時には会社を出て、

真っ直ぐに家に帰るようになった。











そして、そのすぐ後に、

わたしは自律神経を病み、会社を退職することになる。











赤ちゃんワンコもいる中、もはや1人で東京で暮らすのは無理だった。

なんの自信もなかった。










一年実家に帰り

かの昔同棲していた彼に仕事をいただいて、

お世話になったりした。












結婚とか以前に、

どう生きて良いのかすらわからなくなっていた。










一年すぎた頃、

だんだんと調子を戻してきて、

あれだけ悩まされたニキビも落ち着いてきた頃、

わたしは、再び東京に引っ越すことを決めた。











再びIT企業に就職した。










その会社は、

社長が誰かを怒っている声が30分鳴り響く会社だった。

わたし自身もだった。

隣の席の部長は、いつも機嫌が悪く舌打ちをしていた。









毎日怖かった。











年齢的に再就職も難しいと判断したわたしは、

頭に十円ハゲを作ったまま働き続けた。








わたしって仕事もできなかったんだな。










何にも自信はなくなり、

週末に友達と会うことや、

毎日の六助との触れ合いでなんとか保っていた。











とにかく早く時間が過ぎて欲しかった。










でも、ふと気がついた。










あれ?苦しそうなのわたしだけじゃないな。

でも逆に、この環境が大丈夫な人もいる。











なんで?

何が違うの?









その頃ちょうどコーチングと出会った。

(詳しくはこちらをお読みください)











コーチングを学び始めた頃、ちょうど知り合った11歳歳下の彼ができた。

この彼とは、すぐに別れてしまったのだが、

この後何年も名前のない関係が続いた。














コーチングを学び始めたことで、

ここからいろんなことがわかっていくことになる。










なぜこんなにも生きづらいのか、

わたしに一体何が起きていたのか、

全部全部わたしが引き起こしていたことだった。










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