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東京に暮らしだしたわたしは、とにかくお金がなかった。





地元にいた時と同様に、彼に連絡を取ろうとするが、
思っていた遠距離恋愛と違うと言うことがすぐにわかった。






また、付き合っているのかなんなのか分からない日々が始まった。






一緒に住んでいたし、仕事以外はほとんど一緒にいたのもあって、
遠距離恋愛をしよう、と言ってきたくせに、連絡のとれない彼の行動が
謎でしょうがなかった。







彼氏がいることを新しく友達になった人にも話していた。
東京で一人、縁もゆかりもない人達と知り合いになっていくのに、
「彼氏が地元で待っている」というフレーズは
わたしの不安で心細い気持ちを助けてくれた。






ある時とあるテレビ局のプロデューサーの人に誘われてごはんに行った。
せっかく東京に来たのに、地元の彼に気を取られてばかりいるわたしにこう言った。






「別れなよ。何しに東京来たの?」








歌手になるために東京に来たのに、
地元の彼と連絡が取れるか取れないか、
わたしのことを嫌いになったのか、
そんなことばかり考えていたわたしには、
胸に突き刺さる一言だった。








歌手になる活動はとっくにしておらず、
生活のために、「お花屋さんで働いてみたい。」という理由からお花屋さんでアルバイトをしていたが、手取り16万、通勤往復4時間、週一の休み、肉体労働、水仕事で荒れていく手、洗っても洗っても手に染み付いた草木の色は消えず、若いわたしにはコンビニでおつりをもらう時でさえ恥ずかしかった。
交通費を引くと15万円の中で、毎日お弁当を作って必死で暮らしていた。
心から信頼できる友達もまだいなかった。
友達に会いに渋谷に行くのでさえ、交通費を使ったらランチ代がなくて行けなかった。







何もかもが思っていたのと違っていた。







東京に来て、一年が経とうとしていた。








テレビ局のプロデューサーにその一言を言われてから、わたしは思い切って携帯番号を変えることにした。
彼にお別れのお手紙を書き、一方的に彼に送り付けた。








慌てた彼がわたしの友達に連絡してきたらしいけど、
その時結局電話で最後に話したのか、話してないのか、
もう覚えていないけど、これが彼とは最後になった。








その頃くらいから、ずっとわたしを励まし支えてくれている人がいた。







そう、例の彼だ。






わたしはまた、あの大好きだった例の彼と仲良くし始めていた。
わたしは23歳になっていた。









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